時代は天保七年。
農民は引き続く凶作に苦悩する。口減らしのため自ら山に入って姿を消す年寄りや、娘を売る家も出る。
だが、お上は一反当たり一石の年貢を納めろという。その年に穫れた米より多い量だ。亀ケ森の喜助、長八、安俵の松之助、小山田の文四郎、内川目の金蔵は百姓一揆を企てる。だが、達曽部と下宮守は三年前に企てた一揆が失敗したことから二の足を踏む。
数千人に膨れ上がった民衆の願いは、年貢を下げ、土蔵の封印を解き、
一人に二合五勺の雑穀を下すこと。盛岡梁川付近で一揆集団を待ち受けていた
城代家老は、願いを聞き入れ、不問にすると伝え、握り飯を振る舞い一揆集団を帰らせる…
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