青い目の人形 〜時のかけはし〜
昭和のはじめころから、戦前、戦後と日本は時代の流れが大きく変わりました。
そんな時アメリカのギューリック博士は「世界の平和は子供から」という信念のもと、12,739体もの西洋人形を日本全国に贈ったのです。
岩手県にも263体の人形が届けられ、県庁で、たくさんの子供たちが招かれ盛大に人形の歓迎会が行われました。
しかし、戦争のためにほとんどが処分されたり、焼失してしまいました。
戦争が終わり、昭和55年9月、奇跡的に旧石鳥谷町立八日市小学校から青い目の人形が発見されました。
なぜ、この一体の人形は戦火をまぬがれてここにあるのか…
人形の保存のために活躍した卒業生の思いは…
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〜〜青い目の人形の今〜〜
岩手県には、263体の青い目の人形が届けられましたが、現在までに見つかっているのは、18体です。
花巻市では、石鳥谷歴史民俗資料館に保存されている旧八日市小学校のものと、若葉小学校に保存されている旧上中小学校のものがあります。
また、日本ではアメリカへのお返しとして日本人形のプレゼントを贈ることにしました。子供たちが寄付したお金などで58体の日本人形=答礼人形が用意されました。
岩手県で用意されたミス岩手(岩手鈴子)は、アラバマ州バーミンガム公立図書館で今も大切に保管されています。
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