自然が豊かで、のどかな山村、豊沢平和郷。
この年は干ばつに見まわれ、下流の農民は水不足で困っていました。
農民達は、夜水引にやってきましたが、村人に見つかってしまい水げんかです。
その時、ここにダムを作れば水不足も解消すると考え、ダム建設に奔走する平賀千代吉が、ダムの必要性を説いて回っていました。ダム建設反対派の豊沢の「伝の助」と賛成派の「利一」は、会うたびに大げんかをしていました。
そんな中、伝の助の娘「すみえ」と利一の息子「久雄」が恋仲になっていて、結婚を真剣に考えていたのですが・・・戦争が始まってしまいました。
豊沢をこよなく愛する「サダばあさん」は、移転に大反対で大あばれしています。
−−−ダム建設、戦争、移転問題・・・頭の痛いことばかり−−−
昭和27年春、豊沢地区最後の大運動会が始まります。
それから18年、豊沢の人たちは久しぶりに再会しました。140人もの人が一堂に会したのです。
「豊沢会」の発足です。
しかし、その最中に伝の助の孫「遼」が交通事故にあい、ひん死の重傷です・・・
トイシャ(豊沢)の人達の絆と行動力で「豊沢大念仏剣舞」が復活を・・・
昭和57年、「豊沢地区民移転30周年祝賀会」が盛大にとり行われました。
「豊沢湖エレジー」が歌われ、「豊沢大念仏剣舞」のご披露です。
|