2005年3月 花巻空港の滑走路は今までの2,000mから2,500mに延長され華やかに祝賀式典が行われている。空港には新婚旅行のカップルや見送りに来た家族、友人たち、団体旅行で海外に出かける人々でごったがえしていた。思いおこせば45年前、岩手県で初めての空港誘致活動が行われた。「花巻空港誘致期成同盟」というのが正式な名前である。反対もあったが住民に対し関係者の熱心な説得で何とか書類を揃えることができた。そして市職員瀬川の運転する”ヒルマン”で県庁へ向かった。他の候補地より僅か45分早く県庁に着き、これで空港誘致が決まったのだ。
45年前 花巻空港開港式は盛大に行われ、音楽隊や祝いの車が街中をパレードし、ミス花巻空港コンテストも企画され皆ウキウキした様子で喜んでいた。そして今、難病をかかえた女の子がこの空港から治療の為アメリカへ旅立とうとしている。ツアー客のおばさま達も大はしゃぎで搭乗を待っている。そこへブラジルから研修で日本に来ているフェルナンドが今すぐ国に帰りたいと興奮した様子で現れ流暢な日本語で話しているが良い策が見つからずにいた。ふと空を見上げると小型飛行機愛好家の集団が滑走路延長の式典に花を添えていた。
2020年 月日が過ぎ開港60周年を迎える花巻空港 もうすぐ乗客も1億人を超える様子だ。自家用ジェット機格納庫の方には日本中を治療して飛び回る女医さんの姿があった。時が流れて時代が大きく変る。いわて花巻空港も北東北の玄関として人々のほんとうの幸いのためのターミナルとして育っていく。イーハトーブの大地から飛んでいく。 |