「今、日本の仏教は壊滅的な状況にある。多種多様な思想が我々の生活をもてあそんでいる。インドの仏教は滅び、セイロン・ビルマ・シャムの仏教は半死の状態である。今こそ仏教の原点を残しているチベットの仏教を学び、日本に命ある新しい仏教の教義を作らねばならない。
このままでは親が子を思い、子が親を慕うと言うあたりまえのことができぬ地獄のような世界になってしまう。だから多田君、チベットの仏教を学び、日本に持ち帰って欲しいのだ。」と島地大等(盛岡北山・願教寺住職)の想いを受け多田等観はチベットへ旅立った。明治45年1月のことである・・・。
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